ヤナウナティスがパラコセンの会社に足を踏み入れた瞬間、深淵の同類に特有の気配がほのかに鼻先をくすぐった。本人は必死にそれを抑えていたが、貪欲と欲望から生まれる本質的な匂いは、ヤナウナティスにとって暗闇に浮かぶ灯台のように明白だった。
彼は以前から、パラコセンが「人間社会に適応している」と耳にしていたが、今日ようやくその真偽を確かめることとなった。そして確信する——噂に違わぬ巧妙な偽装だ。社内は洗練された豪華さに満ち、空気には高価な香水と、微かにだが……魂の甘い香りが漂っていた。
「パラコセンのセンス、やっぱり一筋縄ではいかないな。」
そう思いながら、漆黒の瞳で目の前の光景を静かに見渡す。
パラコセンは巨大なデスクの後ろに座り、優雅な所作で書類をめくっていた。そしてヤナウナティスに気づくと、人間の姿に擬態した黒い瞳の奥に、馴染みある紅の光が一瞬きらめく。口元に魅惑的な微笑を浮かべ、その声には独特の滑らかさと磁力があった。
「ヤナウナティス、来たのか。思ったより早かったな。」
ヤナウナティスは軽く頷くだけで、余計な言葉は発さない。
「深淵の時間は、こことは異なる。」
パラコセンはくすりと笑い、手にしていた書類を置いて立ち上がる。完璧に仕立てられた高級スーツに身を包み、短く整えられた黒髪も一糸乱れぬその姿からは、大人の男の魅力と深淵種独特の危険な香りが滲み出ていた。
「確かにな。」
彼はヤナウナティスの前まで歩み寄り、その紅い瞳で興味深そうに見つめながら言う。
「君は昔と変わらないな。相変わらず、人間の世界には馴染めていないようだ。」
ヤナウナティスはその皮肉に応えることなく、ただ静かに彼を見つめていた。パラコセンのように
「人間ごっこ」を楽しむ同類とは、元々そりが合わない。彼の視線は部屋の隅にある奇妙なオブジェに向かう。それはかすかな魂の波動を発しており、どうやら最近の「収集品」のようだった。
「そんな堅い顔をするな、友よ。」
パラコセンはその思考を見透かしたかのように微笑みを深める。
「せっかく来てくれたのだから、リラックスしてくれ。君の好みに合うかは分からないが……お茶請けも用意してある。」
彼は意味深に顎を軽くしゃくった。
そのとき——
部屋の扉が控えめにノックされた。
「お入り。」
パラコセンの声が、日常の穏やかさを帯びて響く。
扉が開き、一つの人影が部屋に入ってきた。
ヤナウナティスは思わずその人間に視線を向ける。
人間——
ヤナウナティスはその構造を注意深く観察する。深淵の生物とは異なる、脆弱だが不思議な生命力を秘めた存在。そしてその魂は、何よりも多様で千変万化。彼の長い生の中で、数少ない「娯楽」の一つでもあった。
「この人間の魂……とても清らかだ。」
ヤナウナティスは内心、少し驚いた。
パラコセンのように人間の負の感情を糧とする深淵の存在の傍にありながら、これほどまでに汚れなき魂を保っているとは、実に稀有。まるで泥中に埋もれていた未研磨の宝石のようだった。
パラコセンはellerieに向き直る。彼の秘書である。
その声には、いつもの親しみと、かすかな命令の響きがあった。
「こちらはヤナウナティス、私の友人だ。オフィス内を案内してやってくれ。私は少し片付けたい仕事がある。」